私、恥ずかしながら、学校、ほとんど行っていなくて、あまり、思い出がないんですよ。けれどね、いや、ほんのちょっと、記憶に残っている事がありますが、いや、いつも、自分の部屋で、一人で本を読んでいて、ガサガサと、思いつくままに読み漁るので、よく、崩してしまうんです。積まれた本。その日も、少し崩してしまって、ないですか?本棚に置ききれない本。これ、次は本棚の横に積まれていって、すごく背が高くなるんですよね。
だいぶ上まで積んでいて、崩れたとき、困りました。終いに卒業アルバムまで落ちてきて、あれ、重いですから、スゴい音でしたよ。ドスンとね。まぁ、でも、少しだけ開いて、自分を、何十年前の、えぇ、今と違って、何でも出来るような、そんな顔をしていましたよ。私。あとね、寄せ書きもありました。
自分はこの時、どんなことを書いていたんだろうと、いや、普通に「三年間おつかれさま」と書いてありました。けれどね、よく見たら「三年問おつかれさまでした」って、おかしいでしょ?気付きました?この文章。「問」、問うておりますよ。三年間。何だったんでしょうね。重要な何か、掴もうとしていたんですかね。面白いですね。十代というのは。
今、思えば、あの時の自分に言いたいこと、すごくシンプルに。「もっと遊んでおけ!」と、勉強じゃないですよ。遊ぶんです。元気に遊べる。何でも出来そうな十代は、遊んでいいんですよ。勉強は覚えも早いですから。いや、1番上まで目指して、そういうようなところを目指して、それでしたら、そうはいきませんけど。
私は、勉強が苦手でしたから、漢字だって、いまだに間違えることが多いです。成人してから勉強して。だからこそね。たぶん中途半端だったんじゃないかな。もっと遊んでよかった。こういう後悔というのは、消費なんですよ。人生の。時間を消費するんです。だから、その瞬間を常に、懸命に、向かっておいたほうが良いと私は思うんです。
捜し物と一緒です。物も、後悔も少ない方がいい。そこにかける時間を、一生分を見立てて、計算すると、大変な時間になります。ぜひ計算してみてください。おそらく、大半の人がビックリしますよ。だから私、本は、本はね、しょうがないですけど、あとは何も持ってないんです。このラップトップや、それほど高くないのですが着心地の良い、いくつかの同じ柄。そうです。同じ柄の服。選ぶの苦手なんです。その時間も惜しい。人生を半分も過ぎれば、きっと分かります。
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