自分を見つけてくれたとき、それは嬉しいですよ。嬉しくない人は、いないと思います。自分の作品を好きになってくれて、気付いていない才能を見つけてくれるわけですから。不思議ですよね。分かってくれる人もいて。自分ですら分からなくてもいいと、そんな風に思って書きなぐっているときもあるわけですから。
だからこそ、見つけてもらえるまでの間は、寂しいでしょうし、悲しいのでしょう。それも分かります。自分がずっとそうでしたから。でも、どこかで誰かが、あなた自身が知らない、人生を広げてくれるんです。人が苦手だから、こんな毎日を過ごしているのに、雲隠れです。けれど、人によって道が作られていくと。誰かの人生を豊かにする存在というのは、こうやって、結果的に自分の毎日を豊かにしていくんでしょうね。
私の場合、誰かを深く知ろうとすると、まあ、理解しようとすると、自信の部分というか、疲れてしまうんです。無くなってしまうんです。ポッと、興味のような、どこかで信用することをやめてしまうんでしょうね。人を信頼するというか、信じるみたいな、誰かに任せること。いつもそんな時、みつかった道なんて、ないですよ。自分から立ち去るのは、もう、慣れました。
そんなときね。いいですよ。空、そうです。上を向くということです。なんか、ぽっかりと雲に穴が空いたと思ったら、いつの間にか、また、ひとつの塊になって、意思のかたちというか、面白いですよね。人はね、あまりにも絶望に落ちたとき、下よりも上を向くんです。そして、辛かった時の記憶を綺麗にしてから、次の行き先を考えてるんです。
馴染めないから、私、大変ですよ。自分では何の才能があるかわからないんですから。ただでさえ「レール」と言うなら、むしろ最初から乗ることさえできないんですから。けれどね、ココだよ。と、乗る場所はココだよ。教えてくれる人がいたりするんですよね。あぁ、まだ、私でもなんか役に立つのだろうと。年齢とか、関係の無い青春ですよね。こういうの。
いえ、文章を書く事ではないですよ?それでは小説になりませんから。フィクションですからね。小説は。ノンフィクションなら、こんな回りくどい文章で表現しません。でもね、楽しいですよ。好きに書く文章というのは。