実名で書く必要なんかないんです。適当な、思いついた名前。ペンネームですから、十分です。最近、思うんです。紙の手紙とかで書く事がなくなって、ましてや、いまや「書く」と言うことでいいのか。正確には、ラップトップのキーボードに只々「打つ」場合もあるのですから。
これを「書く」というのか「打つ」というのか、時代の流れ、辞書の中身や「単語」の意味も、昭和から平成、令和と、ほんの少し、時代をまたぐだけで、随分と意味が変わるモノがありました。
手紙。書く事はなくなっても、むしろ、昔より打っているのではないですか?誰かに、手紙のように。そんな風に思います。SNSで。だから、昔より書く事は少なくなっても、文章は紡いでいるなと。
でも、好き放題、何か日記のように、文章を垂れ流すように吐き出したモノはまだ少ないような気もするんです。いえ、これはただ、私がそう感じているだけですから、実際に正しいとか、そんな堅苦しい統計的なモノではなくて。
大事だと思うんです。自分を隠して、何か、悶々と感じている不安感や怒り。個人的に怒りや悲しみは、すごく嫌いな感情ですが、進化の中で備わってきたモノですから。あまり無碍には出来ないのですね。
けれど、そういう負の部分こそ、SNSだけではなくて、Web上に、ブログでも何でもいいです。いまは無料でも、紡いだ文章に反応してくれる人達がたくさんいるプラットフォームがたくさんありますから。
書き殴ってしまいましょう。思ったことや自分に起きたこと全部。名前はペンネームですから。分からないように。面白いですよ。分からないように書くんです。コレが結構、文章を書いていく練習になるんです。意外と得になると思います。
気恥ずかしくなったら、消せばいいんです。ネットですから。だから名前は何でもいいんです。読む人は、貴方が誰だか分からない。けれど何か感じたら、それはすごく意味のあることで。伝われば、それは悩みなのか、起きたことなのか。
何でもかんでも、暴露した方が良いとは思いませんが、ただ、紙に書いた日記ではなく、何か、Webのように誰かの目に留まる場所で綴りたい。そんなことはたくさんあると思います。だから、そんなことは書いてしまいましょう。
それは、もしかしたら、世界にとってものすごく重要な事で、誰かにとっては救いで。何らかの意味を持つ大事な事になるかも知れないです。だから、書いてしまったほうがいい。「書く」か「打つ」なのか。もはやどちらでもよくなってしまいました。
しかも更に、フリックで文字を入力して文章を紡ぐ方法もあります。だから、
「書く」
「打つ」
「なぞる」
最近の時代の変移は面白い。伝える事ひとつ。この方法をとっても、これだけ変わってしまうのですから。
人の心の移り変わりなんて、もっとはやい。