人は、本当のことを言われると、それは、気分が悪くて、その言葉が心の芯を、掴むようであれば、尚更、人によっては、激情に駆られるものです。しかしながら、これは難しいモノで、伝えなければ、それは傍観者と同じで、歪んで複雑に分かれ、作られていく道々を眺め、ついには、その背を押され、皆々の差す、人差し指の方向はこちらを向き、これも結局、たまたま、押される順番が自分だったと、気概を無くし、人は喪失するのです。
現実は、大多数の人が居ますから、これは、勝手な思い込みなのですが、主従関係がどうしても形成されてしまう社会では、能力とか、そういうモノではなく、本当に指先、気分ひとつなんだと。いえ、つまり、人生というのは、それは運だったというのが結構あって、実力とか能力とか、あまり関係ないと。だから、自分を誰かと比較するとか、よく聞く、そんなようなモノは全く気にしなくて良いと思うのです。
いえ、比較するのは、意外と、自分よりも周りで、その指標は複雑ですから。ひとり一人の評価軸に合わせて、そんな日々を過ごしていたら、壊れてしまいますよ。心。それは、当たり前だと。けれど、なんでしょう。やはり比較は気になりますよね。これ、何でなのでしょうね。せめて、あなたは誰かを比較することを辞めてあげてください。その人、必要なのは、他人が作った成績表ではなくて、受け取りたい優しさなのだと思います。
「誰が言ったかではなくて、何が正しいか?」こんな無謀なことを、長く続けると分かる事があって、無謀だから、結局、誰が言ったかを優先すると、生存できる社会ということなんです。正しさ。推したいですよね。私の推しは「なにが正しいか?」です。まあ、仕事などをするときだけですが。だから、難しいですね。何かを成すため、集合体とか、共同体とか、何か、そういうことは。
また、これよく聞きます。「常識的には」こんな感じの言葉。これって何でしょう。常識とは。これも難しいですよ。誰が言ったかで、考えれば、おそらく全て違いますから。だから、もともと、今の時代を生きるというのはとても難しいんです。だから、悩むより、本当、好きな事ができる時間は、それだけを楽しむために夢中になってほしいなと。人生100年なんて、きっと、あっという間ですよ。こう、人生を半分過ぎると、残り半分の長さは、意外と短いんだなと感じますから。これも誰が言ったか。面白いですね。
つまり、何が言いたいのかというと、難しいことを考えて悩む時間で費やすより、楽しいことに目を向けたときの、期待で膨らむ気持ち、それは、何か夢中になれる、そう、何でも、何でも良いと思います。恋のように、意味を言葉にしにくいようなことでもいいです。熱く何か、心が暖かくなって、それで布団に入り、明日を想う。そちらの方がよっぽど良いです。
どうですか?これは、本当のことか分からないから、やってみないと分からないことです。つまり、答えは貴方が持っているから、何が正しいかは貴方次第。今日、これを読んで、明日は、自分が楽しいと思えること、それを考えることでいっぱい。いいですね。それは楽しいことです。そういうのを、「生き方」と言うんです。
YouTubeで朗読動画を作りました
AI音声合成技術を用いた朗読音声を利用して、このページの作品を朗読動画にしてみました。