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フィクション

生き方なんて分からない事だらけですから。これから、どんな風に生きていたいかなんて言うのは、いくつになっても分からないままにしておきたい、いえ、考えたところで。振り返りはいつも、明日にするようにして、そして昨日の事なんて忘れてしまうんです。それくらいが丁度良い。

一度転んでしまうと、起き上がるには少々辛い世の中ですから。這うように、誰かが指を指して向かう方向に歩くのは疲れてしまうんです。だから、すぐ側に居て支えてくれていると。それが守るものであると、人は思うのではないのでしょうか。

生きてきた時間が多くなると、選択はいつも残酷なんです。答えがないですから。だから、答え合わせはいつも、誰かの用意したキラキラのSNSのタイムラインやフィードなんです。だから、そんな感じのモノはそっと閉じて、歴史を紐解き、事を綴り、人類が犯してきた過ちは繰り返されることから、今も昔も変わらないんだと。大層な考えで今を生きているのは自分なんだと。そんなふうに、ほくそ笑んでいる方が、まだマシな選択なのかもしれません。

もう、うっすら霧がかかっていて、思い出に浸るよりも、フィクションと思える毎日を過ごしている方が良いんです。だからこそ、いつもの散歩道に花が咲いたのを見ただけで、喜べることに気付くんです。

気付けばいつも、目の前にはボロボロの誰かがいて、それを無視してきたから今、押され掴まれ離されて、だから、つまづくときに手をつくのは申し訳ないと思うことに何も感じなくなっているのかもしれないのです。

そんなことだから、不格好でも良いので、手を差し伸べてもらってばかりの今でいい。そんなふうに思えることは、とても幸せな事なのかも知れません。あぁ、あの選択をしたからと、さがしモノをするよりも、明日の天気を気にして青い空を見ている方が毎日は楽しいと思うのです。

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著者

複数のブログサイト制作と運営、イラストデザイン、3DCG制作、エッセイや短編小説、私小説などの、色々なコンテンツを制作しています。