退屈な日常を知っているつもりで 世の中にはそれしかないようなことを知っているふり
退屈と言う言葉と 明日出来ることは明日 何もすることができない事の気まぐれ
「何もしていない」という事実は 自分だけではないという言葉で書き換えられる
それが普通の人生であり 自身にみえている世界 そうそれでいい
怠惰や自己満足のために 代わりに状況の犠牲者になってきた
自分がつまらない人間であることを認めたふりをする道化
でも それが出来ることを 誇りに思うべきと思う時もある
日々の忙しさの中 もっといい人生がほしいとか そんな新しい地平線をみようとしてきた
昔と同じこと 同じ日々
過去を見ては “それよりかはマシ” と言う
未来は空白でまっしろにみえる 現在を短いと言い 過去のずっとずっと昔 今は何が残っているのか
この世界の大きさは 目の前に広がる目を背けたくなるような 人生の流れとして始る
誰も知ろうとしない感覚 前触れもなくやってくる渇いた衝動
迷い 混乱し 何かを探しているように毎日を生きる
おそらく よく言われるのそれが生きるって意味だろう
世界の時流は いつも言葉喰いされて 不安と安らぎの合間に小さな部屋を作る
そして 誰かの為に何かをすることが答えを知ることのように動いていく
時にはこうして詩集を作り 音楽を奏でて歌を歌い 色で表現をして発信をする
毎日起きてからシャワーを浴び 朝食をとる姿 そして仕事に行く
何年も何年もそうしていく毎日にも名前が付いてきた
それすらに価値が付き 生活できる時代の代弁者として
世界が望みを叶えてくれないと哀しむだけの 時代とは流れが変わってきたようだ
自分の人生を選択したのか 選んだ人生を生きているのか もしそうでないなら それは何なのか?
匿名性という情報の壁もなくなった 大衆の中に放り込まれる
その空っぽさを見つめて いつも考えていること