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不条理の時代に

現在の社会においても、そのほとんどが、誰かと、何かで繋がった縁をきっかけに、一蓮托生と、共に働き、事業を育てて行くという事がよくあるのですが、150年前に、福沢諭吉という方が「学問のすゝめがくもんのすすめ」の冒頭で、”「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」”と書かれていますが、実際に、少しだけでも読み進めると、現代社会、そう、今の社会もまさに表している、簡単に言えば、学ぶかたと、学びを拒む方、やはり、その差は出てしまうモノだと。もっと言えば、つまるところ、今も、本質的なところは変わっていないということです。

つまり、人は皆、そもそも、この社会は、最初から平等ではないということを、認識しているのか、いないか、まず、この違いだけで、この時代に生まれ、今まさに、現在進行形で見ている、世界は違って見えているのです。だから、日々、溢れ出ている不条理という渦の真ん中にいることが普通で、何があっても、どんな事が起こってしまっても、決して絶望しないし、諦めない。そんな心持ちでいられることが、何かを変えるためには必要なのかなと感じます。

そんな中で、学びは重要というのだけれど、僕が思うに、この時代においては、学べば学ぶほど、その中の何が、自分にとって良く作用するのか、情報は玉石混淆ぎょくせきこんこうで、本当の情報が何かも分からないし、本当の情報を教える人がどれくらい、今の、この社会にはいるのかと。おそらく、共に、皆が同じ方向を向き、社会全体の、人々全てが思う、希望や夢が、自然発生的に豊かになろうという気持ち。今は、その範囲がすごく、とてもすごく狭くなっていると思うのです。

だからこそ、そういう、人の心を1つにするみたいな、大きな力というのは、やっぱり、その時代を表していて、今は、誰かの自由な時間を、SNSを通して見ることで、自分と、誰かとの間にある、不思議な何もない共感、このようなもので、自分に起きる不条理を、情報の海に吐き出して、それで、また1日が過ぎていくと思うのです。

しかし、それが悪いのではなく、それは、結局、自分がどうしたいかというだけであって、自分が、どうしようもない現実の中で、ただひたすら、前を向いて生きていくために、頼りになるものがあって、それで歩く力を持てるのなら、それが1番良いと思うのです。僕は、人の裏切りとか、嫉妬や妬み、こんな言葉は、あまり好きではなくて、どうでもよいと思えるほどに。しかし、社会になじめない人生を送ってきた僕には、少しばかり、いや、本当に辛くて、その結果として今があるのですが、それも、人によっては良いと感じるのか、それとも不幸にみえるのか様々です。

ただ、1つ言える確かなこともあって、人生という、お金で買えない、よく言われる時間というモノ、これは、気付いたときには本当に取り戻せるモノではなくて、これが、自分の思っていた世界と、あまりにも乖離していたときに、想像以上に苦痛に感じるという経験をするということもあるのです。

一片の救い、いや、それでも僕にとっては大きな救いで、それが、この人生を続ける意味なのでしょう。惰性で生きているように感じるのかも知れませんが、それはそれで、少しだけ、それでも楽しいと思えるのであれば良いと思っていて。

実際、こうして、文章を書くことだって、別に、誰かに見せる必要もないわけですが、誰もが世界中に情報発信が出来る時代ですから、せっかくの今を、少しでも楽しむことをすれば、それは、自己満足とわかっていても良いと思うのです。色々と言われることもありますが、そこまで気にする必要もないかと。そんな風に、今は日々を過ごしているのです。

最初の話になりますが、何が言いたいのかというと、今は、自身の人生を、未来のどこまで残せるか、分からないとはいえ、それでも、軌跡を記しておけるということです。そんなことに何の価値があるのかと。それでもいいんです。もともと、意味なく残している人もいれば、強い想いがあって、記す人もいるのですから。そして、学びの大切さもありますが、人が興味を持つ人生を、もしも、文章として残せていた時に、それは、今ある、社会のシステムから少しだけ離れて、少しだけ、不条理から離れて、静かに、穏やかに過ごせるかもしれないということです。

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著者

複数のブログサイト制作と運営、イラストデザイン、3DCG制作、エッセイや短編小説、私小説などの、色々なコンテンツを制作しています。







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