第26回風花随筆文学賞 応募作品
路線を走っていた電車は、長い年月を経て高架鉄道となり、行き交う人々の俯き加減は背伸びをしている望郷を向くこともないまま、眺めは現実のほうへ向いていた。
「苦労を買うことにはもう慣れたかい?」
ビル風や喧騒が溢れるこの街では、幻聴と言うには余りにもありきたりに投げられる言葉だ。今、より良い生き方が出来る方法を探そうとすれば、パーソナライズされた広告で「貴方の好きなモノはこれですよ。」と表示され、無意識の価値観さえ決められてしまう時代らしい。
つまらない言い訳を毎日繰り返し、平等に訪れる夕焼けになれば、暖簾をくぐり抜け、哲学者になれる時間が訪れる。誰が言ったか何が正しいか、そんなことは夜明けまで仕事をしている中では関係の無いことだ。わかりきっていて疲れ切った表情は、鏡を見ることさえ本能的に拒む姿を写すように身体を倒れ込ませた。
「見えているか?これは現実だ。」
記憶というものは不思議なモノで、時が経つと美化された感動小説になるらしい。
「冗談じゃない。」気がつくと洗面所の水は出しっぱなしで、体がどこを向いているのかもわからない。聞いたことのない砂嵐のような耳鳴りは、「頑張れ」という言葉が持つ搾取の意味を教えてくれた。いつから鳴っていたのか、携帯電話の着信音は鳴り止むことがなく、前後不覚のまま、それでも伸ばす手から聞こえるのは自己保身に震えた他人の声。
「若いのは褒めておけばいい!」元気よく言い抜ける世代の価値観や社会に、絶望と人生の不覚は取り返しが付かないことを教えてくれた。自分のためにではなく誰かのために、翌朝には自分のためにやることが誰かのために、ぐるぐると回る同じような言葉の意味は、時に混乱だけでなく憎悪とも感じ取れる表情を作らせるらしい。
「自分も同じ顔をしているのだろうか。」そんな心配をする必要もなく、また毎日が始まっていく。本当に優秀な将は戦わずして勝利を得る。その代わりに失うモノは名声と考えている。裏方として支えるその先は、人気や名声を背負った傀儡が踏む土であることが多くのテンプレートパターンだ。
「それでもいい。」
どちらにせよ悩みは尽きぬまま、時間は必ず、すれ違いを大きくさせ、横から啄む者が出てくれば、どちらの立場であろうと現実は崩壊する。そんな世界から脱したいと、「無理だね。失敗するのがオチになるよ。」こんなことを言われながら会社を去るとき、笑顔で寂しそうに後ろ指を指しながら、自分の明日を願い心配する表情は、まるで映し鏡だった。
擦りきれてしまった心から発したように聞こえてくる言葉に厚みは無くて、「また会いましょう。」「また連絡します。」本当に心配しているときに出てくる言葉は、紙の中に言霊を込めて文章に伏せられる。立ちはだかるかのように佇んでいる高架鉄道の工事現場誘導線、時が経ち、記憶から美化されて出てくる違和感からおきる感情。
きっと、それをキレイに折りたたんで捨てられる人が、次の一歩を歩ける活力に変えられる人なのだろう。雑音は嫌いだ。そんなことを言っていれば前に進めなくて。今そこにある希望のようなモノにしがみつくことだけを考えている。
YouTubeで朗読動画を作りました
AI音声合成技術を用いた朗読音声を利用して、このページの作品を朗読動画にしてみました。